横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

人は誰しも思うであろう。

一体、幸せにつながる道というのがあるだろうか、と。

子どもの進学の際、私学で中高一貫の学校ならば、進学で苦労をすることもない。そこに大学が有ればいうことはない。

そんなところを出た子どもは、いざ就職の際に苦労をするのだ。また、社会人としても悩まなければならない。

すなわち、エスカレーター式に乗っているだけで全て上手く行くことなどないのだ。

人生とはそんなものなのだ。

私の狭い経験から思うに、色々な人々がいて、彼らは誰一人として、順風満帆で来たという人はいなかった。

頭が良くて、成績優秀でも、体が弱く病弱だったり、あるいは、貧しかったり、片親がいなかったり。

運動能力が抜群な子どもは、勉強が嫌いであったり。

また、友達がいなかったり、異性との付き合い方が分からないと嘆く友達もいた。

人生は、なかなか思うように行かないのだ。

そんな人々はいろいろと悩むのだ。

果たして、幸せにつながる道はないのだろうか?

私は最近になって、少しずつ、その道がどうなっているのか見えてきたような気がする。

すなわち、その道は存在していないのだということに、漸く気がついたのだ。

遅いと言われれば、遅い。

しかし、その道のあり方は私には理解し難かった。

すなわち、その道は存在していないし、当然、我々には気がつかないのだ。

我々がいい行いをすれば、少し先の幸せにつながる道がその瞬間にできる。そして、じっと目を瞑ると、不思議にその道が見えてくるのだ。

なるほど、こうすれば、幸せな気持ちになれるのだ、ということに気がつく。

いい行いが、我々を幸せな場所に運んでくれるのだ。

最近の私は、自分の幸せのことより、妻の幸せ、子どもたちの幸せ、孫の幸せを今まで以上に考えるようになってきた。

そのことと同時に、私の最後の役割を考えるようになってきた。

私は今から何をなすべきか?

その答えは、こうだ、

私の兄姉、義理の母など今まで世話になった方々に最後のお礼を言うことだと思っている。

そのことが、妻、子どもたち、孫たちへ、私の考えを伝える最良の行いのように思えてならない。

私の幸せにつながる道は、そうして作られていくのだろうと確信している。

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