横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

実は、サウジアラビアの代理店をどのように探し、いつからビジネスをスタートしたか、前任者から引き継ぐ時、具体的に聞いていない。
前任者の時もあまり活発にビジネス活動をしていなかったようだ。
ところが、シカゴの北米放射線学会(RSNA)にも毎年来ていた。
社長はとても紳士だったし、会って話を聞いてみると、本業は建設の設計事務所を経営しているようで、病院建設なども手がけていたようだ。その関係で医療機器を取り扱っていたようだ。
また、サウジアラビアではよくある話で、この社長はロイヤルファミリーの親戚筋とか。
しかし、彼の医療機器販売会社で雇っているセールスマネジャーがまるでダメ。
もともと、サウジアラビアで働く有能な人々は、イエメン、エジプト、レバノンやシリアなどの近隣諸国から来ている連中だそうな。
この会社のセールスマネジャーはシリアから来ていたが、サウジアラビアで甘い汁をすすろうと思っている男だった。名前はモスレー。
彼は代理店会議にも来るが勉強などしやしない。ニタニタ笑いながら、サウジアラビアの現状を語ろうとするが、口先だけ。
私は三年かけてこの会社と付き合った結果、結局、この販売代理店を切ることにした。
当然、次の候補者を探したが見当たらない。エジプトのラカーと相談したら、自分が会社を持つと言う。
また、別の章で詳しく書くが、ラカーはサウジアラビアの皇太子と友達だと言う。
嘘のような話しだが、既にラカーの力も知っていたから、彼の話しを信じた。
サウジアラビアには国王が一人いて、皇太子はこの国王が亡くなった時の後継者で、順位は、国王の弟達だと言う。
その時の国王の三番目の弟というから、地位は随分高い。
その皇太子がフランスのニースに行く時は必ずラカーに声がかかり、ニース沖に浮かべたでかいヨットにヘリコプターで飛び、一晩中洋上パーティだそうな。

私はサウジアラビアに飛んだ。
サウジアラビアの首都リヤドに降り立った。
空港の周りは間違いなく砂漠。と言っても砂で埋もれたところでもない。だから、よく土漠(ドバク)と言っている。
空港から街に行くのにはハイウェイが走っている。
このハイウェイは素晴らしいほど整っている。
外はとにかく暑い。
ガイドの男に、外は今何度くらいか?と尋ねると、
「まだ、50℃にはなっていない」と答えた。
どうして分かるかと聞くと、外でまだ働いている者がいる、と答えた。
どうも、サウジアラビアの法律では、50℃になると外で働いてはいけないらしい。
ホテルは素晴らしい。
ホテルの外壁も厚く作られているようで、外の暑さを持ち込ませない。
その翌朝早く起きて外に出てみたら、外は暑い。
中学校の社会な時間、砂漠気候という言葉を習った。
昼は暑く、夜は寒いと。
あれは全くの嘘だと分かった。
砂漠気候は夜も熱風が吹き、昼はガンガンと暑いというのが正解である。
私は代理店の社長のオフィスを訪ね、率直に私の考えを話した。
社長はそのことを聞いて驚き、自分はモスレーを解雇して、もっと有能な人間を雇うと言う。
私は素直に無理だと言った。
このサウジアラビア一国をマーケットとしてやっていくには無理であることを説明した。
貴方は設計事務所をやっていけばいい。そして、病院建設で医療機器を調達する際は、東芝から機器を納めることを約束すると話した。
すると、あっさり私の話しを受け入れた。
そして、私がサウジアラビアを発つ前の晩、私を自宅に招待してくれた。
そこには、奥さんも誰も現れない。唯一、社長だけ。
ただ客間のテーブルに山のように盛った料理が三皿置いてあった。
私は社長とその山盛りの料理を皿に取り、ゆっくり食べた。飲み物はミネラルウォーターだけ。
奥の方から子供の声が聞こえて、時々、扉から顔を出す。
多分、日本人ってどんな人かと興味があるのだろう。
この食事に招かれたことでサウジアラビアの生活の一端を見ることが出来た。
どうも、山盛りの料理は家族や使用人の食べる分だと後で知った。
この経緯をラカーに話したら、全く信じられないと言う。
佐藤は魔術師だとも言った。
サウジアラビア人はプライドが高い人間だから、代理店を切られる侮辱には耐えられない筈。
プライドを満足させる何かを要求してくるのがサウジアラビア人。にも関わらず、何も求めず、しかも自宅の夕食に招待するとは信じられないと大騒ぎのラカーだった。

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