ここで一つのエピソードがある。
自分が卒業した年の秋、天神祭で叔父の善治郎さんの所へ泊まり、翌日昼頃、帰宅したところ帰りが遅いので、俺が先の酒造違反による罰金を気にして家出したのではなかろうかと親父は心配したそうだ。
この密造事件というのは、親父が午玉ヶ谷を出ると後継者がいなくなるというので、再三思い止まるように説得した寺総代の一人が税務署に密告し、親父が罰金を課せられた不詳事件のことである。
具体的には、家から100メートル暗い離れた所に古い炭窯があって、毎年、新米が取れると麹を作り米を燻(いぶ)しては入れ、燻して入れると豊潤な香りのドブができる。一冬中、澄んだ上澄みは晩酌となり、残りのドロドロ部分は朝晩の味噌斗に入れられる。その美味さ、また、ポカポコして今でも忘れられない田舎の味である。しかし、その場所が相当離れていたので、取りに行くのが堪らない。
このことが寺総代に気づかれない筈がない。
結局、寺総代の移転引き止めに応じないため、報復手段として、密造酒の密告となり、罰金事件となってしまった。
しかし、これがかえって親父に対する刺激となり、翌年の移転に拍車をかけ、推進力となったのであろう。
親父は、不法行為で罰金を支払わなければならない羽目に陥ったことが、子供の俺に破廉恥行為と思わせてしまい、そのことで、ヒョットすると俺が家出したのではなかろうかと心配したそうな。
親父は堅いことは言うが気の小さいところもあり、俺をすべての点で、大いに頼りにしてくれていることが十分想定できる。
そんな俺は、よーし、こうなれば奮起一番やってやろうとやる気になった。この時期、小学時代のあの”どうかん坊主”(腕白坊主)が孝行息子に変わっていったような気がする。