私が、フローチャートを描き終わるのに半年近く掛かった。
私は工場で働いた経験と海外営業の経験とコンピュータの知識を持っていた為、海外からの注文が入り、それを工場に手配し、出来上がった装置を工場から出荷し、船積みする一連の作業を分析出来たのだ。
そのフローチャートを持って、国際部と医用機器事業部のコンピュータ部門に話を持ち掛けた。
ここで初めて、オーダーエントリーシステムの構想を説明したのだ。
彼らとは、それまでにも色々と相談していたこともあり、彼らがこの内容を理解してくれるのは時間は掛からなかった。
今までは、これらを手書きでやっていたのだ。
コンピュータ部門の彼らも自分達が今後何を目玉にして開発するかを求めていたのだ。
このシステムを構築するためには、各設計部に標準システムを作ることを要請した。
この提案で、最も興味を示したのは、意外にも工場の製造部であった。
今までのように手書きの注文書を受け取ったら、まず、手配のための書類を作らなければならないのだ。
また、このシステムが動き始めたら、現在の受注残や、販売見込みが、容易に出来るのだ。
初めは、八代も変な目で私のやっていることを見ていたが、感度のいい彼女は、自分もこの仕事に参加させて欲しいと言って来た。
こうして、私一人がスタートしたこのシステムが医用機器事業部と国際部に渡った一大プロジェクトになった。
私のこのオーダーエントリーシステムは、東芝に貢献した最大のものだと自負している。
しかし、時の上長は、誰一人、この功績を讃えることはなかった。
私も、そのことで、苦情は言わなかった。
このシステムの完成は三年掛かった。
完成の一年前、部長が私のところに来て、そろそろ、営業に復帰しないかと言って来たが私は、もう一年はこのシステム完成にかかるので、部長の誘いは断った。