横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私は1982年頃から約2年、主任として東南アジア、中東、アフリカを担当した時がある。
私は直ぐにシンガポールとマレーシアに出張して、 2カ国に会社を持つKUAN社長に会った。
シンガポールの会社には、多分20人位のスタッフがいたが、マレーシアにはほんの数人しかしいなかった。まだまだ小さな会社だった。
私が初めて会った彼は40歳だったであろう。私より8歳上。
自分が会社を持つ以前、彼はフィリップス社のエンジニアをしていたと言う。
ところが、シンガポールで開かれていた展示会で東芝の責任者にアプローチして、販売代理権を得たということだった。
バイタリティのある彼のウィークポイントは、やはり、資金力。
多くの東芝の人間が彼と関わりを持ったものの、彼の本当の能力を理解していた人間はほとんどいなかった。
私が担当した時、営業部長の住田は、私にこう言ったことがある。
「佐藤君、騙されるなよ。彼は中国人なんだ。どこに金を隠しているかわからんぞ」
あの癖のある福山は多分、KUANさんを上手く使い、自分の手柄のことしか考えてなかったのだ。
そんな環境で、KUANさんの仕事が上手くいく訳がない。
サービス部の課長も、私にこう言ったことがある。
「シンガポールやマレーシアから来たエンジニアにサービス教育をしても、KUANは喧嘩っ早いから、直ぐエンジニアを辞めさせてしまう。困ったものだ。」、と。
若い時のKUANさんは東芝からは、あまり、よく思われてはいなかった。
私が担当して間もなく、マレーシアのペナン島で2台のCTの入札があったのだ。
当時、シンガポールには藤木君が駐在していた。
藤木君はとても真面目で勤勉な男であった。
私より一歳年下だった。
私は彼に、「この2台のCTを落札させるため、マレーシアに飛べ」と指示した。しかし、自分は福山さんに、勝手に出張するなと言われている、と言って動かない。

ここで福山という男の説明をしておかなければ、話は分からない。
福山という男は私よりも15歳くらい年上。すなわち、その当時は福山は47〜8歳くらい。
ただ、中学卒のため主任というタイトルすら与えられなかったらしい。でも、何故か、市販グループ長のような振る舞いをしていた。
この福山の特異なキャラクターは人を試したり、威圧したりする。非常に演技派でもある。
多くの人はこのキャラクターに翻弄されてしまうのだ。
特に東芝に勤務している人で、このキャラクターに立ち向かう人はいなかった。だから、彼の下についた部下は絶対服従せざるを得なかった。
しかし、当時は中国のビジネスが始まったため、福山はそちらの方で忙しかった。
組織的には、市販グループとは別に中国グループがあるといったようなものだったが、何故かみんなは福山がいないにもかかわらず、市販グループ長として存在しているというふうに思っていた。

私自身は、全くそうは思わなかった。すなわち、市販グループには、中国グループとアジアグループがあり、私がアジアグループの担当主任だという認識だった。当然、部長にはそのことを確認を取って動いた。

私が全て責任を持つから、マレーシアに飛べと言い張り、藤木君は漸くマレーシアに行くことになった。そこで、私は藤木君に、こう言った。
「今回のCT 2 setsの入札は絶対に取るから、全ての条件を全て連絡するようにKUANさんに言ってくれ」
こうして、KUANさんは2 setsのCTを初めて受注したのだ。
多分、この落札で、KUANさんは私を少し認識したのではないかと思う。
この後、一旦、私は、業務課に身をおくことになり、KUANさんのビジネスも一時停滞してしまう。
3年後私が営業復帰を果たすと、KUANさんは真っ先に私をシンガポールに呼んだ。
そこから、KUANさんの会社の業績が上がっていくのだ。
営業のプロをアメリカやヨーロッパから招き、売り方の指導をしたり、日本に著名なドクターを送り込みセミナーを行うのだから、循環器システム、CT、高額の超音波診断装置などを受注できるのは当然。
据え付けなどで海外からのエンジニアも送り込んだ。
こうして、好調にビジネスは伸びていったが、ある病院で大型装置の据え付けでトラブルが起こってしまい、顧客からキッチリと入金が入ってこなくなったのだ。
そのため、東芝への支払いが出来なくなってしまった。
経理部は毎月の入金をチェックしており、KUANさんの会社からの入金が遅れているとの警告が出る。
その度毎に、工場側の落度が原因であると説明する。
しかし、遅れが半年も経つと経理は動き始める。
そこで、経理の高橋課長が一度現地を見に行くと言い出し、結局、私がついていかざるを得なくなった。
現地について、高橋課長はKUAN社長に直接、何故東芝への支払いが遅れているのかと理由を問い正す。
KUANさんは、据え付け上のトラブルのために、病院から機器代金を支払ってもらえないことを説明する。立場上、東芝の工場の悪口は言えないから、説明が中々ハッキリ言えない。
高橋課長はそんなことはお構いなく、東芝への支払いは約束通り、支払ってもらわなければならないと紋切り型で、KUANさんに迫る。正に、銀行の言い方と同じなのだ。
KUANさんは追い込まれるところまで来ても、今の自分にはどうも出来ないと言うだけ。
すると、高橋課長は、販売代理権を失うことになると、切り出した。
その言葉を聞いて、私は切れてしまった。
「高橋さん、シンガポールにそのことを言いに来たのか?日本であれだけ、今回は東芝の工場の落ち度だと説明したが、その裏を取って来たのか?高橋さん、本来なら、最初に謝らなければならないのは我々の方なんじゃあないか。過去も据え付け遅れで何度かトラブルになり、KUANさんの方から180日のユーザンス(支払い猶予)を付けてくれ、と要求が出ているが検討をしていないのはあんたの方じゃあないか?ここシンガポールにサービスセンターを作るか、あるいはKUANさんの会社とジョイントベンチャーで現地法人化しようという話があるのをあんたは知らないのか?」
そう言った途端、
「佐藤さん、それ、本当の話?」
と高橋課長が聞いたので、
「あんた、西田さん(後の東芝の社長)に聞いてみろよ。西田さんとはそこまで話ができているから」
と答えた。この瞬間、高橋課長はトーンを下げて、
「佐藤さん、分かったよ。ユーザンスを付ける方向で考えよう。」
私は高橋と握手した。
KUANさんは勘のいい男で、その握手を見て全てを悟った。
会議室から私の大きな声だけが聞こえたようで、会議室から3人が親しそうに出て来た様子を見て、そこにいた従業員は呆気に取られた様が私にはよく分かった。
高橋課長は私より4歳上。しかし、今回は私の情報量が増さり、西田さんとの親交が役に立ったと感じた。
翌朝、KUANさんと高橋と私はゴルフ場にいた。

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