横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

年に一回、北米放射線学会(RSNA)がいつもシカゴで開かれる。世界の放射線医師がこの学会で自分の研究論文を発表する場である。
この学会で発表できるだけで、その医師の評価は高いのだ。
この学会に併設されている展示会では、各メーカーが新製品を発表するのである。
ここには東芝アメリカのメディカル部門のスタッフが立ち全世界の医師に商品の説明するのだが、実際にはアメリカ人DRに対してのみ説明する。
例えば、アジアの代理店がDRを連れて来ても、アメリカ人はほとんどの場合、対応はしない。そんな場合、代理店の社長はまず自分の知っている日本人、例えば私などを探し、私がアメリカ人に説明の依頼をするかたちをとるのだ。
そんな時期がズッーっと続いてきた。
アメリカ、ヨーロッパ以外の人々にとっては、とても屈辱的だったでしょう。
しかし、我々が代理店会議を開き、アメリカやヨーロッパ、あるいはオーストラリアなどから優秀なスタッフを招待するようになって、状況が少しずつ変わっていった。
アメリカやヨーロッパの営業マンやエンジニアの間で、アジアや中東やアフリカに行けるチャンスがあるという評判が立ち始めたのだ。
RSNAで展示ブースに立っていると、アメリカやヨーロッパの人々が私の所に来て、自己紹介をするようになったのだ。どうも、あいつが佐藤という奴で、彼が代理店会議の際、アメリカやヨーロッパから優秀な人間を選んでいるようだと噂が流れているらしい。
また、各国の代理店も、それぞれが個別にコンタクトを始めたようだ。
そんなタイミングで、私は、シカゴクラブをみんなに提唱した。
実は、RSNAの期間中、アメリカやヨーロッパはそれぞれにパーティを開いていた。
そんな時、代理店の社長はシカゴのステーキハウスで食事をするしかなかったのだ。
私は、ある代理店会議でそれぞれの代理店に毎年一人のDRをシカゴクラブに招待することを宣言した。
こんなことは初めてである。
部屋は大きなボールルームを借りる訳にはいかないから、日航ホテルのスイートルームを借りた。
こじんまりとしたスペースだが、天ぷらや寿司などの料理は豊富だし、何よりもアットホームな雰囲気が良かった。招待したDRはそれぞれの国のトップクラス。
そして、栗山事業部長も来させた。
代理店の連中は、RSNAで行くところが出来たので、大喜び。そこには中南米の代理店も読んだので、発展途上国の代理店パーティとなった。
中南米の人達が参加すると、つい歌を歌い始める。そして、肩を組んで、DRも一緒に歌うのだから、楽しいに決まっている。
パーティだけでなく、会期中には販売代理店会議も行った。アジア、中東、アフリカの代理店会議はもう何回もやっていたが、中南米も交えた形で開いたのは初めて。
ここで優秀代理店表彰状だけでなく、個人表彰も行った。
こんな場ができると、自ずから、代理店の中の代理店というものが浮き彫りにされてくる。
要するに目立つ存在、目立つキャラクターである。
それがKUANさんであった。
この時には、KUANさんは東芝アメリカ、東芝ヨーロッパ及び東芝オーストラリアの人々にも知られていた。
もう完全にグローバルになったのだ。
私が課長になった時、住田は私に言った。
「佐藤君、市販グループでは決して高額装置は売るな」、と。
皮肉なことに、住田はこの時、東芝アメリカの社長になっていた。
「住田の馬鹿野郎‼️ 何がアメリカか‼️」という思いが私にはあった。
数年後のパーティは、シカゴクラブという招待状を発行し、会場も東芝アメリカの隣りのボールルームで開くようになった。雰囲気は昔と同じく、愉快で楽しいパーティ。歌も歌う。料理も日本料理中心。
隣りの東芝アメリカの連中が、こちらのパーティの方が楽しいと言ってくる程だった。

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