いきなり菩薩の話をしてもなかなかピンとくる人はそれほど多くないでしょう。
我々は菩薩と言えば、観音菩薩や地蔵菩薩などを思い出す。
そこで、簡単に菩薩の説明をしておきましょう。
釈迦は説法の中で、若き求道者であった頃の自身を語るときには「私が啓示を経ていない bodhisatta であったころは…」というフレーズをたびたび使用していたようです。このbodhisattaが菩薩のことです。即ち、菩薩とは如来になる前の修行中の人ということのようだ。
ところが、既に悟りを開いて如来になってもいいのに、それを拒否して菩薩のままでいる菩薩がいる。それは釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩。
また、成仏とは関係なく活動を続けているのが観音菩薩と勢至菩薩。
ところで、この観音菩薩が阿弥陀如来の慈悲の現れというのをご存知であろうか?だから、観音菩薩の冠には必ず阿弥陀如来がのっているのです。
このように菩薩には色々な菩薩がおられます。これは全てお釈迦様の口から説明されたものです。
このシリーズで、色々な菩薩を紹介しましょう。
我々はお祈りする際に、南無阿弥陀とか南無釈迦牟尼仏とか直接、如来の名前を口にしますが、阿弥陀様もお釈迦様も、我々の周囲に菩薩や明王を送り込んで、我々を庇護したり、導いたりしてくれているのです。
私が70年以上も生きて来た中で、菩薩や明王に触れたり、声を聞いたりしたような瞬間があるような気がします。その一つずつを思い出した順にここで紹介していきたいと思います。
私が2歳になった頃、私は裏の川を流されていたことがあったという話です。私の記憶にはそんなものがあるはずもありません。これは12歳年上のキヌエ姉から聞いた話です。
私の産まれて育った家は、山口県の片田舎にある農家の家でした。牛も鶏も犬も飼っていました。その裏には幅3mもしない小川が流れていました。日頃は深さ20cm程度の川の水ですが、田植え時期にはその川から水を田んぼに引くために川を塞くのです。すると、水の深さが50cm以上になります。子供たちにはいいプールに変わります。
そんな時期に2歳の私はいつもの様に家の裏庭から直ぐそばの川べりで遊んでいたのでしょう。その時には子供たちは居らず、私が川に落ちたのは誰も見たものはいなかったようです。
たまたま、川の反対側には大賀さんという家があり、そこのおばさんが川をゆっくり流れている私を見つけてくれて救い上げてくれたということです。そのおばさんが家を出てくるタイミングが1分遅れていたら、私はもうこの世にいなかったことでしょう。大賀さん宅には私と同じ歳の男の子のかずちゃんがおり、幼稚園から高校まで一緒でした。何やら、この家と大賀のおばさんには縁があるようです。
その後、私が中学生になった頃、たまたま大賀の家に行った時、このおばさんに、こう言われました。
「えっちゃんは子供の頃から頭が良かったからね」と言われたから、私はそれはどういうことかと聞いた。すると、おばさんは、
「えっちゃんは、幼稚園の時にはもう二桁の足し算を暗算でやっていたからね。その計算するのが見たくて、えっちゃんを家に呼んで、何度もその二桁計算の暗算をしてもらいみんなで感心していたのよ。えっちゃんはね、暗算する時には目を瞑り、じっと考え、そして答えていたの」と言った。
小学生の私は、宿題をするのが嫌いな子供で、学校の成績も中の中程度。しかし、六年生の一年間で友達に恵まれ、学校の成績が少しずつ良くなっていった。そんな時に大賀のおばさんの話を聞き、私は何故か自信がついた気がした。
そんな話は家では全く聞いたことがなかったので、非常に新鮮な思いだった。