横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

寝たきりになって、三年目頃から、夫はあまり話さなくなった。多分言語障害が来ているのだろう。

私が帰り支度をしていると、いつの間にかスカートを、しっかりつかんでいたこともあった。帰したくなかったのだと思う。

「また、あした来るからね。」

と言いつつ急いで、部屋を出たものである。

亡くなる二、三日前から、夫は呼吸困難になり、身近な人々に通報したので、一応親族は皆来てくれた。

夫の安らかな時は、私はいつも言っていた。

「言葉には言えなくてよいから、心の中で、南無阿弥陀仏と唱えなさい」、と。

私は和紙に南無阿弥陀仏の名号を書き、それをこよりにして、水を含ませ、臨終の夫の口を何度も拭いた。仏の導きがありますように、と念じながら。

娘たちに看取られて、夫は静かに息を引き取った。

看護婦さん、寮母さん達も、最後まで一所懸命して下さった。

心から私達は感謝している。

木材に生きた夫にふさわしく、大樹院の法名をいただいた。

享年八十歳だった。

 

隅田浦を去る

山林の斜面(なだり)きびしき隅田浦 いくつきかけて夫拓きたり

 

どの道を行くも坂道風致地区 その一点にわが住居せし

 

終の棲処と思ひゐし棲処手放すと 草木はらひて杭を打たしむ

 

一枚の紙切れの中に消えゆけり 二十年を住みしわが家

 

「よく思い切りましたね」と人の言ふ われの思ひは千夜を経たり

 

旧き物小さく積みて老いの世帯 運ばれゆけり常通る道

 

移り来し老後のわれの小世界 窓より見ゆる広き人の庭

 

この人の頭上に住むと思ひつつ その戸に立ちて挨拶をする

 

開きゆくハイビスカスの一輪に 一人の部屋のあした華やぐ

 

一遍上人の境地にはるか遠けれど 窓開け放ち寝ぬる気易さ

 

回覧板まはす束の間 会話することもなくして隣は遠し

 

花咲ける日々を流転の過去として 街の一隅に老いを養ふ

 

首夏の日の日暮れはながし残生の いまどのあたり生きゆくわれか