明治時代の話である。
80歳になる老僧が英語の勉強を始めた。
弟子たちは、
「今から英語を勉強して、どうするんですか?」
と尋ねた。
老僧は、
「遅すぎることは、私だって知っている。でもな、英単語の一つでも二つでも覚えておけば、この次生まれてきたときに楽ができるだろうと思うて・・・」
と言ったという。
冗談としてはあまりうまくないが、人生を楽しむ心はよく理解できる。
江戸時代初期に 、鈴木正三(ショウサン)という禅僧がいた。
もとは徳川家の家臣であったが、42歳の時、 出家し、諸国を巡って禅を修めた。
この人の禅はすこぶる勇猛で、世に「仁王禅」として知られているくらい。
密教などを取り入れ、超宗派的な仏教者であった。
この人の言葉に、
「一生に成仏せんと思うべからず」
がある。
仏道修行の目的は成仏であるが、この一生の間に成仏しようとしてはいけない。
そう考えると、焦りが出てくる。
焦りこそが、修行の最大の敵である。
むかし、子供のころに、母からこんな話を聞いたことを覚えている。
あるとき、義経と弁慶が飯粒をすりつぶして、糊を作ることになった。
大量の糊がいるというので、弁慶は大鉄棒を持ってきて、それで飯粒をかき回した。
しかし、一向に糊はできない。
結局、弁慶は失敗したのだ。
一方、義経は、じっくりと小さなへらで飯粒を一粒一粒丹念につぶしていった。
結局は、義経の方法でしか糊はできないのだ。
ゆっくり、じっくり、生きていこうよ。