横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

お主も悪よのう・・・

フランスの作家ユゴーの『レ・ミゼラブル』に感動の場面があるのをご記憶だろうか?

一切れのパンを盗んだがために19年も牢獄で過ごさねばならなかったジャン・バルジャンは 、
出獄の直後、ミリエル司教の教会に泊めてもらう。
ミリエル司教はこの前科者を温かく遇するが、彼は教会から銀の燭台や食器を盗んで逃げ去る。
その後、警察はジャン・バルジャンを捕まえ、教会に連れて行くと、 ミリエル司教は警察に言った。
「あの燭台や食器は、彼にやったものです。」
この一言で、ジャン・バルジャンは 立ち直り、ガンバルことができたのだ。

これと同じ話が日本にもある。
日揮上人は近世日蓮教学の大成者である。1859年、61歳で亡くなられた。

日揮上人が生まれ故郷の金沢の立像寺にあって、大勢の門下生に宗学を教えていた時、学寮の中で度重なる盗難事件が起きた。
やがて、犯人が捕まった。
窃盗の現場を押さえられたのだ。
犯人は同門の寮生であり、寮の代表者たちが犯人を上人の所に連行し、処罰をお願いした。
上人は、
「承知した」、と言われた。
しかし、その後、一向に処分の発表がない。
そこで、再び、代表たちが、日揮上人の所に行き、こう談判した。
「私達は、あの男と一緒に修業ができません。あの男の処罰がないならば、私達はここを去ります。」
すると、上人は言われた。

「そうか、仕方がない。では、お前たちは去るがよい。」
いぶかる彼らに、上人は理由を説明された。
「あの男は、どこに行っても勤まるまい。それであの男をわしの許に置いてやりたい。しかし、お前たちであれば、どこに行っても大丈夫だ。」

その上人の心を知って、代表たちも自分の間違いに気づいた。
また、その言葉を聞いた窃盗犯も涙を流し、上人に詫び、見事に立ち直ったという。

人を目覚めさせてくれるのは、愛の言葉であり、思いやりの心なのだ。

冷たい処罰は、かえって人間を頑なにさせてしまうのだ。