横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

お主も悪よのう・・・

松尾芭蕉門下の優れた俳人を”芭蕉の十哲”と呼ぶ。

内藤丈草はその一人。
芥川龍之介は、芭蕉門の俳人のうち、この丈草を最も好んだという。

うずくまる薬の下の寒さかな

芭蕉は死の直前、お伽につめかけた門弟たちにそれぞれ句を作らせた。
その時の丈草の句がこれである。
芭蕉は、この句に感銘して、「丈草、出来(でか)したり」 と言ったという。

丈草は尾張犬山藩士であったが、継母の生んだ弟に家督を譲るため、わざと指を傷つけて、刀を握ることができぬから武士を捨てるといって出家した。

その時に作った偈(げ)である。
漢詩を分かり易く書くと、
多年、屋を負う一蝸牛(かたつむり) 化して、蛞蝓(なめくじ)となって自由を得る 火宅、最も惶(おそ)る、涎沫(せんまつ)尽きんを たまたま、法雨訪ねて林丘に入る

もう少し、分かり易く書くと、
長い間、カタツムリのように家を背負ってきたが、ナメクジになって自由が得られた。
だが、火宅の世に生きるに最も恐ろしいことは、水気のなくなること。
偶然の縁で、仏法の雨を求めて 林や丘に入る。

話は代って、時宗の開祖の一遍は鎌倉中期の僧である。
彼は、その出家について、次のように言っている。
「念仏の機に三品あり。上根は、妻子を帯し、家にありながら、著(じゃく)せずして往生す。中根は、妻子をすつるといえども、住居と衣食とを帯して、著せずして往生す。下根は、万事を捨離して、往生す。」

説明すると、念仏者の素質に上中下の三クラスがある。
最も素晴らしいのは、妻子を持ち、家にいて、しかも執着しないで往生すること。
次のクラスは、妻子は捨てるが衣食住を持って、執着しないで往生すること。
最低のクラスは全てを捨てて、往生すること。

上は親鸞、中は法然、下は一遍自身だと言っているのだ。