横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

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「人間はすべて例外である」

これはロシア哲学のベルジャーエフ(1948年没)の言葉である。
人間はみんな、一人一人がそれぞれの個性を持った存在である。
一人として同じ人間なんかいやしない。
みんな違っているのだ。
違っていて当たり前なのだ。

ところが、現実は違う。
私達は他人のことが気になる。
自分は、多くの人々と違っていないだろうかと気にする。
具体的には、人ができて自分ができないことを、大変気にするのだ。

どうも、偏差値だとか平均値という意識が、我々をがんじがらめにしているのではなかろうか。
はたして、自分はどの位置にあるのだろうか、と気になる。

流行も同じ。
流行遅れが大変気になる人も多かろう。

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金子みすずの詩に、
「みんな違って、みんないい・・・」
というのがあるが、分かっていても弱い人間はそれができないのだ。

ユダヤ教の律法の一節に、
「あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない」、とある。
この律法は神の命令であるが、ユダヤ教の神は、他人(多数者)がいかに行動しようとそれは構わない。
「あなただけは例外であれ!」
と命じているのだ。

仏教においても、浄土真宗の開祖の親鸞は、
「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なり」
と言っている。
阿弥陀の救済力(五劫思惟の願)は、ただただ親鸞一人のために発動されている、というのである。

言い換えれば、私一人のために仏があると言っているのだ。

自分は仏に守られて、一人の「例外者」であることを自覚しなさいということだ。