横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

名古屋のヤクザ問題では、ついぞ、本人の文夫君は姿を見せなかった。
それから、しばらくは音信不通の状態。

私は幸い岡山大学に入学した。
そして、二年目の五月の連休あたりであったろうか?田舎の親父から、手紙が来て、文夫の居所が分かったので、一度暇を見て訪ねてくれないかと依頼を受けた。

私は兎も角、大阪に行ってみた。
多分、天王寺あたりだったと記憶するが、教えられた住所を尋ねると、二階屋のアパートでだが、隣の部屋の間仕切りだけはあるが、入口の扉はカーテンだけ。

私がその部屋を訪れると、40過ぎの夫婦が居て、文夫の居所を聞いたら、この部屋だと言う。
到底三人で寝られる広さでは無い。
多分、夫婦が出かけれ時に文夫君は帰ってくるのだなと直感した。

その夫婦は、私が何者かを尋ねると、安心したように、文夫君は二時間後には戻って来ると言うので、しばらく、外をぶらついた。

しばらくして、ブラリと戻ってきた文夫君は私の姿を見て、驚いていたようだった。
不思議に、文夫君は私に敵愾心を持つことなく、普通の兄弟の関係で話せた。

私は、親父に頼まれて、やって来たこと、親父達が名古屋のヤクザに脅されて、金を支払ったこと、そのために家の中がガタガタになってしまったことなどを、一つずつ話して聞かせた。
特に、親父は、
「文夫が罪人になると、かずえがお嫁に行けなくなったり、栄次の就職に問題が起きること、啓一、秀夫や久夫の会社での立場が悪くなること、シズエとキヌエが家に居づらくなる」、と言って金を工面したことを細かく話した。

文夫君はは私の話を、ジッと聞き、弁解めいたことは一言も口にしなかった。

私は、別れ際に、アンタが悔い改めて、やり直すためには、一度、田舎に帰って、みんなに謝罪をすること、そして、みんなの許しを受けること、これ無くして、アンタの再出発は無いと言った。

しかし、その後何年かは、彼が詫びるために、厚狭には帰って来なかった。