横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

結婚

結婚

私が女学校を卒業した翌年、いつもお世話になっている野中さんから一つの縁談が持ち込まれた。この人は遠縁にあたるけど、裏隣りで、親しく行き来していて、私も大変かわいがられた。私はおじさんと呼んでいた。 おじさん夫婦には子供が居なかったので、小さ …

女学生のころ

女学生のころ

小学子六年の半ば頃になり、私も女学校に進みたいと考えながらも、兄が中学校をあきらめたのに、女の自分が進学するのは、兄にすまないような気がした。 そんなある日、受け持ちの十時(ととき)先生が突然家に訪ねて来られた。 十時先生は、四十歳代で教育 …

四人家族

四人家族

私が小学校を終えるまでは、家族四人の生活に、電燈は四十燭光が二つだけだった。一燈だけの家も多かったので、普通だったのだろう。 家の建坪は、一階が四十坪位、二階が十坪位で、畳の部屋が五つと、板張りの部屋が二部屋あった。土間はかなり広く、納屋と …

男尊女卑

男尊女卑

村では出方という風習があった。お互いに労力を出し合って、道路づくりや修理、川の掃除、学校のこと、お宮のこと、お寺のことなど皆でやっていた。特に田畑を持っている所は、農道づくりや、水路のことなど、一年を通じて、相当の日数の出方があった。 その …

粋なおじいさん

粋なおじいさん

私のおじいさん“母の父”は、粋な人だった。 おばあちゃんは脳溢血で、五十歳で亡くなった。おじいさんは小柄で白髪だった。 大変声がよく浄瑠璃も歌も上手だった。時には三味線も弾いた。 また、俳句や短歌も作った。 自分の家の近くに、貸家をいくつか …

祖母の信仰

祖母の信仰

祖母フサは大変な信仰家だった。仏教の話はお坊さんに負けぬくらい知っていたので、近所のおばあさん達は、毎晩のように来て、信心の話を聞いていた。 祖母は字が全然読めないのに、聞き覚えで、一時間でも二時間でも親鸞聖人の経典を引用して話していた。 …

未亡人の悩み

未亡人の悩み

三十歳で未亡人となった母は、再婚はしなかったので、女としては寂しい一生を送り、子供の成長だけを楽しみに、生きたようである。 私にとって、父は物心つく前から居なかったせいか、父が居なくてもどうということはなかった。死んだという実感もなかった。 …

父異郷に果つ

父異郷に果つ

国境を無事越えることに成功した父は、五年間にかなりの金額を送金したという。 勿論借金は、早く返済したらしい。 やがて5年も経過した頃、 「五年経ったから、帰国の準備をする」 という手紙が来たので、留守宅では喜びにわいていた。 しかい、それ以 …

国境を超える

国境を超える

南アメリカから送金すると、日本の円の価値が低く、送金しても目減りしたという。これではいつまで経っても、借金返済はできないと父は思い、どうしても円の高い、北アメリカ合衆国に、移らねばと思い始めたそうである。 当時の一ドルは二円五十銭位、一円は …

南米移民船

南米移民船

私が生まれた頃、父はかなり借金を持っていたそうである。 ある時、親友の借金の、保証人になっていて、その親友が若死にしたため、その債務を父が引き受けねばならぬことに、なったということである。 当時国内では、働くところがなかなか見つからず、だか …