横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

小林の山

小林の山

昭和二十九年に、宮崎県小林市に、一つの杉山を買った。 この山の山主は、古久保安次郎という人で、沢山の山林を持つ資産家だった。若い時は自分で郵便局を経営しておられたそうである。小柄な六十歳代の人と聞いたが、私の目にはおじいさんのように思われた …

大洪水

大洪水

昭和二十八年六月に大洪水が起きた。 三日前から降り続いた雨に、三隈川は水域を越して、水は両岸にあふれ出した。一時間も経たぬ間に周りの人家は床上まで浸水した。 深夜のこととて、人々は寝間着のまま、起き出し、右往左往の大混乱となり、泣き叫ぶ者、 …

一勝地の山

一勝地の山

早津山を売却して、暫く仕事を離れ、のんびりしようと話していたが、仲介人は始終出入りして、山を勧めに来た。 「野村さん、あんたはこれから遊びなさい。毎日奥さんから小遣銭をもろうて、パチンコもして遊びなさい。あんたが遊びさえすれば、財産は増える …

平塚さんの結婚

平塚さんの結婚

早津山で番頭をしていた平塚さんは、早津山を売却し始めた年、私達の仲人で、結婚した。お嫁さんは上広川の人で、当時、上広川小学校の重野先生だった。一年間は次女道子のクラスの受け持ちの先生だった。 夫は、この重野先生に目を付け、何度も先生の自宅に …

久泉の製材所

久泉の製材所

夫の兄さんの初さんも、製材所を始めたいという希望があったので、中広川久泉に、土地三百六十坪を、四十五万円で買い取った。昭和三十年ころと思う。 早津山で解体した製材機を、ここに据えた。小さな杉山を買って、運営は兄さんがされた。この工場は、兄さ …

抽木製材所

抽木製材所

早津山の製材所は閉鎖したので、その製材機の一部を上津村の抽木(ゆうぎ)に据えた。ここも水力を利用して、機械を廻した。 長年にわたり、野村工場で職工を務めてくれた足立安夫氏を責任者として、ここの工場の運営を任せた。 この抽木の山中に、和田さん …

日田の住い

日田の住い

早津山の方は、道路もまあまあ良くなり、日に数台、荷を積んだトラックが、山から下っていた。 ある日、一台のトラックが、山から荷を積んで、降りる途中、カーブを曲がりそこなって、谷に落ちた。道の片側は、川に続く幅広い傾斜で、川には水が少し流れてい …

母の死

母の死

兄は終戦と同時に除隊となり、実家に帰った。母も息子や孫たちと暮らすようになり安心だったと思う。 復員した兄も、さしあたり仕事が無くて迷っていたので、材木屋でもやったらという私達の提案で、本人もその気になり、私達の広川の製材所を引き継ぎ、経営 …

朝鮮戦争

朝鮮戦争

昭和二十六年に朝鮮戦争が始まった。 朝鮮の南北戦争である。 この戦争にアメリカが介入し、中国も介入した。 両国で戦い、この時から南朝鮮、北朝鮮が三十八度線で分断されたのである。 この戦争が始まって、物価は上昇し、物価凍結令も効かなくなった。 …

経済九原則

経済九原則

経済九原則 丁度この頃、福岡銀行の佐藤重役から、自分の持ち山を買って欲しいと言う申し出を受けた。木材は当時多量にもっているので、 「今のところ、山は要りません。重役さん、それに金もありません。」 と、断った。しかし、重役さんは、 「手形で良 …