三十一年宮崎県牧園に、雑木山を買った。 昔から雑木山を買って、儲けたためしがないというジンクスがあるので、買わぬことを私の兄も、野中さんも求められた。勿論、私は大反対だった。 「あんな遠方に、今頃雑木山なんか、どうして買うのか。絶対儲かった …

三十一年宮崎県牧園に、雑木山を買った。 昔から雑木山を買って、儲けたためしがないというジンクスがあるので、買わぬことを私の兄も、野中さんも求められた。勿論、私は大反対だった。 「あんな遠方に、今頃雑木山なんか、どうして買うのか。絶対儲かった …
レストランが、軌道に乗ってきたころ、日田市田島に持っている土地に竹工場を始めた。三百坪位の土地に、古家が一軒あった。 竹工場の責任者は佐原という人物で、この仕事に通じているらしく、この人に是非やらして欲しいと頼み込まれて、始めたのである。 …
夫の叔父山下善助氏は、代々の仏壇屋だった。 優れた彫刻の技術は、京都方面にも知られていた。 善助の屋号も、先祖から続いている。 当時は六十歳で下広川が住居である。 いつもきちんとしておられ、親戚で法要などの時は、この叔父さんだけは、 紋付羽 …
日田市長を三期勤められた広瀬さんは、昭和二十八年に、代議士に立候補された。 私達の家が広く、大通りに面し、殊に広い土間が通りにあることで、 表の土間だけでも事務所にして欲しいと、市からの再三の頼みにより、土間と応接間だけを、 一ヶ月だけ貸す …
当時、大分銀行では、くじ付きの鶴亀定期預金というものを作り、預金獲得に努めていた。 昭和三十年に、私の家がこの預金の特賞に当たった。 同じ頃、福岡銀行でも、同じケースで預金を集めていた。 大分銀行の賞をもらって、日を置かず、今度は福岡銀行の …
日田の 5 月の川開きは賑わった。 町内毎にどんたく隊を編成し、三日間、市内を踊り歩いた。三隅川の屋形船も、予約の客で賑わい、船の上では芸者をまじえ、酒宴が開かれ、鵜飼舟の篝火が、夜の川に輝いた。 間断なく上がる花火も、闇を彩り、町を挙げて …
夫の叔父の野村幾平は、朝鮮平上で手広く旅行用具店を経営しておられたが、朝鮮動乱の時、体一つで内地に引き揚げて来られた。 この叔父は、弁護士の資格もあり、商才もある人だった。笑う顔はとても柔和で、優しかった。 引揚車で、博多駅に下り、千代町ま …
或る日、ポーランド人のゼノ神父が日田市駅前にある日田木材組合に立ち寄られた。 その頃、ゼノ神父は、久留米市小頭町に教会を開いておられた。この教会は狭くて、古いということだった。修理の必要もあるのけど、資金もないので、援助を求めて、木材組合に …
昭和二十九年に、宮崎県小林市に、一つの杉山を買った。 この山の山主は、古久保安次郎という人で、沢山の山林を持つ資産家だった。若い時は自分で郵便局を経営しておられたそうである。小柄な六十歳代の人と聞いたが、私の目にはおじいさんのように思われた …