横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

二人の死に方

二人の死に方

臨済宗妙心寺の開山である関山慧玄(かんざんえげん・・・1277~1360年)の最期は、こうであった。 彼は長らく病床にあったが、或る日、 「どうやらお迎えが参ったようじゃ」と言って、自ら旅支度をして、杖をつきつつ寺を出て行く 。弟子たちに見 …

浜までは海女も蓑着る

浜までは海女も蓑着る

一人の禅僧が庵に悠々自適の生活をしていた。 その恬淡たる生きざまを慕って一人の雲水が庵を訪ねてきた。 「あいにく風邪をひいていて、今から薬を取りに行くところです。直ぐに戻りますから、拙庵でお待ちください。」 そう言い残して禅僧は出て行った。 …

嘘も方便

嘘も方便

昆虫採集を趣味にしている人が山岳部の連中と一緒に山に登った。 彼は、山に登りながら昆虫採集に動き回っている。 運動量は彼のほうがはるかに大きい。 しかし、面白いことには、山岳部の連中のほうが先にバテテしまったという。 これは、山岳部の連中は …

ユックリズムのすすめ

ユックリズムのすすめ

明治時代の話である。 80歳になる老僧が英語の勉強を始めた。 弟子たちは、 「今から英語を勉強して、どうするんですか?」 と尋ねた。 老僧は、 「遅すぎることは、私だって知っている。でもな、英単語の一つでも二つでも覚えておけば、この次生まれ …

肉屋の言葉

肉屋の言葉

中国は唐の時代の禅僧に、盤山宝積(ばんざんほうしゃく)という人がいた。 ある日、盤山和尚が肉屋の前を通りかかった時、一人の客が猪の肉を買おうとしていた。 「おやじ、上等の肉を切ってくれ・・・」 と客が注文した。 すると、肉屋のおやじはこんな …

言葉は要らない

言葉は要らない

曽我量深(そがりょうじん)という仏教学者が明治から昭和の時代に生きていた。 この人が残した言葉に、 「言葉の要らぬ世界が仏の世界。言葉が必要なのが人間世界。言葉が通用しないのが地獄である。」 これはなかなかいい言葉である。 人間の言葉という …

めでたい言葉

めでたい言葉

江戸後期に仙厓義梵(せんがいぎぼん)という禅僧がいた。 洒脱な墨画で有名である。 ある時、仙厓は何かめでたい言葉を書いてくれと頼まれ、筆を執った。 そして、いきなり、 「祖死父死子死孫死」 、と書いて与えた。 もちろん依頼人は顔をしかめた。 …

あっさりとした生き方

あっさりとした生き方

江戸時代中期に 至道無難(しどうぶなん)という禅僧がいた。 中山道の宿場町である関ヶ原の宿屋の主人であったが、53歳になって出家をした。 或る日、この無難は庄屋の家を訪ねて主人と話をしていた。 丁度そこに別の商家からの使いが来て、主人に紙に …

袖振り合うも他生の縁

袖振り合うも他生の縁

道を歩いていて見知らぬ人と袖を触れ合う。 そんなちょっとした接触も決して偶然ではない。 全てが前世からの因縁によるものだといったことわざが、 「袖振り合うも他生の縁」 あるいは、 「袖振り合うも多生の縁」 である。 ”他生”は前世で結ばれた …

餓鬼に三種あり

餓鬼に三種あり

「餓鬼に三種あり」と仏教の論書「倶舎論(くしゃろん)」に書かれている。 餓鬼というのは六道輪廻(ろくどうりんね)の世界の一つ。 六道とは、天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界である。 餓鬼とは餓鬼界に住む住人である。 生前に嫉妬深か …