横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

ある日、国際電話がかかって来た。中国からである。
どうも、どこかの秘書がかけて来た。
彼女はボスが三ヶ月に日本に行くが会ってくれるか?と聞いて来たのだ。色々聞いてみると、シーメンス Chinaのベジェレという男が、私に会いたいと言うのだ。
その後、一ヶ月毎にアポイントの確認をして来た。
この男は約束通り、東芝本社に現れた。
背が高く、髭を生やした男だった。
彼は単刀直入に説明した。
彼はドイツシーメンス社メディカル部門で、販路開拓の部門にいることを説明した。
彼の経歴は、南アフリカで、現地法人の販売会社を作り、次は中国で同じように販売会社を作った。来年は、一旦、ドイツに戻り、リビアで販売会社を作る予定になっている。しかし、自分の年齢のことを考えると、自分は南アフリカで一生を終えたいと思っている。そこで、自分が医療機器の販売会社を作るから、東芝の機器を取り扱わせてくれというのだ。
南アフリカは、昔から販売代理店はあるが、あまり活発ではなかった。そこで、ベジェレには、今の代理店契約が解消する条件で彼の申し入れを受け入れた。
翌年、彼らは会社を作り、私は南アフリカ共和国に入った。それまではアパルトヘイトの問題で、入らなかったが、1990年にそれも撤廃された。多分、東芝からは、私が一番に入ったのではなかろうか。
それまでの販売代理店は石鹸などの製造販売する傍らで、医療機器の販売をしていたようだ。
でも、契約解消には、相手は簡単に承服しなかった。
もともと、この地域は日商岩井(現 双日)経由でビジネスしていた。だから、今回は日商岩井の江田課長にお手伝い願って、交渉していった。結局、二日間で合意にこぎつけた。これは私にとってはとてもいい経験になった。
合意の翌日には、社長の自宅まで招いていただいた。製品や部品の在庫は、適正な価格で引き取った。
一方、ベジェレと彼の友達のマイクは南アフリカの大富豪と組み、会社を設立したようだった。
実は、ベジェレから私は多くのことを学んだ。
シーメンスの販売戦略を聞いた時、私の目からウロコが落ちた。

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