横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

普賢菩薩という名前は聞いたことがあるでしょう。釈迦三尊の仏像には中央がお釈迦様で左に文殊菩薩と右に普賢菩薩が立っておられます。たまに、そうでない組み合わせもあるようですが。また、象に乗った普賢菩薩が絵になっていることがあります。象は悟りの象徴なのです。因みに、お釈迦様はは、蓮華座(れんげざ)を乗せた六牙の白象に結跏趺坐(けっかふざ:仏教とヨガにある瞑想する際の座法)して合掌する姿で描かれているのが一般的です。

文殊菩薩が“知の菩薩”で、普賢菩薩は“行の菩薩”と呼ばれています。

私は中学校の時は無我夢中に勉強しましたが、将来の目標は特に何もなかった。高校選びの際は国立の宇部高専か、県立の宇部工業高校か小野田工業高校にしようと思っていた程度。

ところが、ある日、友人の横川にあった時、彼は私に聞いてきた。「えっちゃん、高校は厚狭高校か?」と。私は、「特に何も決めていないが、あんたは?」と逆に聞き返した。すると彼は明確に、「自分は厚狭高校に行くことにしている」と言ったのに私はビックリした。

なぜなら、当時の厚狭中学校のトップクラスは山口県下有数の進学校である下関西高校か宇部高校に行くのが当たり前であったから。この横川の会話で、私も厚狭高校に行こうと決めた。その時の私が決めた理由は単に地元であるという理由だけ。

後で知ることになるのだが、厚狭高校では横川他厚狭中学校のトップクラスを厚狭高校に入れ、厚狭高から東大に入れようと厚狭高校の先生方は考えていたらしい。これにはもう一つ背景があり、横川の母親は厚狭高校の音楽の先生だったのだ。

高校入試では、私は何の問題も無く合格した。

厚狭高校では、我々の入学の年からクラス編成を変えた。入試の成績順にトップ50人は1年6組に入れられた。次の50人は1年5組になった。残りの人たちは成績に関係なく4つのクラスに振り分けられた。まさに受験のための体制がためであったようだ。

1年6組の担任は、九州大学の地球物理学を卒業した渡辺という背の低い品の無い男だった。この男は頭は良かったかもしれないが、皮肉れた奴でみんなからは総スカンを喰らっていた。この男は、入学早々、大学入試の話ばかり。

この学校の実力は、昨年の国立大学合格者はゼロ。私学にも九州や大阪などの大学に入っている程度。担任の渡辺は、この高校の程度はその程度と言わんばかり。私は最初から頭ごなしに、普通にやっていたら国立大学に行くことなんか到底無理だと言うこの男が嫌いであった。

大学入試のことなどつゆも考えたことのない私にとっては、初めはよその国の話くらいに考えていたが、日々、大学名を耳にするうちに、大学に行くことを考え始めた。自分の親父の話を聞いて育った私は、理科系の大学しか考えられなかった。当時の私は、理系の大学のトップは東京工大だと決めつけ、東京工大が全てと考えるようになっていった。実に浅はかな高校生だったと今は思っている。一旦、目標を設定するとあとは実行するだけと走り始めた。渡辺が言うように普通にやっていたら国立大学は到底無理と言われたことで、私は独自の道を走り始めた。実はそのことが私を大きく変えてしまう結果となってしまったのだ。

中学3年生の時には夜の9時から1時までの4時間程度勉強をやってていたが、高校ではクラブ活動をやらなかったので、家に帰って夕食までの2時間が増えた。しかし、学習方法が悪かったため勉強時間を増やしても成績は思った以上には上がって行かなかった。そのため、更に勉強時間を増やしていくことになる。そして、床につく時間が少しずつ遅れていき、睡眠時間がドンドン減っていった。最後には、朝の4時半頃に床に入り、7時半に起床するようになってしまった。

夏休み以降、こんな生活が3ヶ月くらい続いたであろう。私に変なことが起き始めた。学校では授業中、机が揺れるのを感じる症状です。私は机の揺れを防ぐため両手で机の両端を押さえてしまうのです。また、鉛筆でノートに何かを書いている時、無性に小指が気になり、文字が書けない症状です。また、家ではこんな症状が出始めたのです。勉強しているうちにいつの間にか寝てしまっているのです。自分が知らぬ間に布団を敷き、いつ寝たかがわからないのです。それまで私は2階で勉強して、その横で寝ていましたが、この症状が出てきたため、布団を一階に移したのです。それでも、いつの間にか、知らないうちに二階から一階に降りて、布団を敷いて寝ているのです。

この症状は11月の終わりから12月の終わりまで続きました。私は怖くなり、勉強することをやめることに決めました。多分、翌年の2月の終わりまでは全く机につくことはありませんでした。その間、勉強方法を変えることに決めました。勉強は暗記中心から、理解して考えることに重きを置くように変えていきました。また、夜は1時には絶対に寝て、睡眠時間は6時間以上取ることに決めました。

この苦しんでいる時に現れたのが普賢菩薩ではないかと思っています。生活様式や勉強の手法を変えるように私にヒントをくれたように思います。

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