横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

歳をとったせいもあり、ここ数年、お寺を訪問する機会が増えた。一昨年は高野山に行って空海と話しをして来た。

今年は日蓮が亡くなった地に建てられた池上本門寺に行きたいと家内と話していた。なぜ日蓮宗なのか?

そんな愚問には答えたくもない。私にとって日蓮は素晴らしき哲学者なのだ。もう一つは反体制の政治家なのだ。ただ祈っているばかりの坊さんではない。

当時の鎌倉幕府にとっては目障りな存在だったのだ。だから、この日蓮は何度も幕府に捕まる。最後は、山梨の身延山に幽閉である。

身延山に行かれた方ならわかるだろうが、こんな不便な所は滅多にないだろう。しかし、日蓮はそこを修行の場にして、最後は日蓮宗の総本山にしてしまった。

今年の春、コロナ騒ぎがひと段落した頃、東京に住んでいる娘二人から、何処かで食事をしようと言ってきた。

家内は、私が池上本門寺に行きたいと言っていることを娘達に話すと、しばらく経って、娘達から池上本門寺の直ぐ側にある今半を予約をしたと言ってきた。今半と言えば、浅草今半のすき焼きが有名。時期は5月の連休だった。

娘達とは池上駅で会うことにした。

駅で予定通り娘達と落ち合うと、4人でブラリブラリと歩き、池上本門寺に行った。約20分位でお寺に着いた。お寺は小さい山の上にあり、ゆっくりと歩いて登った。お寺そのものは、山梨県の身延山にある総本山ほどでかくはないが、それでも、ちょっと感じるものがあった。本堂で拝み境内をブラリとしていたら、力道山の墓があるという看板を見つけた。私は興味本位で行ってみた。そこには、力道山の胸像が墓の前にあり、ファンが挙げたのであろう花が飾ってあった。

私の家族はプロレスが好きで、毎週金曜日の夜は大騒ぎだった。当時の母親や父親の声が聞こえてきたような気がした。

その墓地か下り坂をしばらく歩くと今半のビルが見えてきた。なるほど、今半は池上本門寺のお客を泊める宿と法事の会場としてビルを建てたのだと思った。

我々は、予約していたからホテルの案内に従ってレストランに入った。そのレストランから眺める庭園は実に素晴らしいものだった。

食事と話が弾んだため1時間半くらいで経った頃、我々はそこの庭園に出てみた。

すると、ホテルの人が出て来て、我々の写真を庭をバックに撮ってくれた。そして、さりげなく、あの池の向こうの東屋で、西郷隆盛と勝海舟があったんですと言った。私はビックリした。ここで❓‼️

 

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