横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私の妻が問いかけてきた。

「我々、一生懸命生きてきたよね。人のためにもいろいろやってきたよね。我々は神にそむいたことはしなかったよね。にもかかわらず、神はまだ何もメッセージを送ってこない。いつくるの?」

私は答えた。
「我々の行いの神の判断は、すぐにはなされないし、すぐに伝えてこない。しかも、直接的にくることは少ない。間接的に来ると言われている。例えば、子供たちや孫たちに現れることが多い。また、周りの人々の行為に出てくることもある。」

更に付け加えた。
「元気で、いい子が生まれてきた。才能ある子供に育った。また、心優しい子供がそだった。これが神からの最良点だろう。また、周りの人が持ちかけてきた話が、その人のチャンスになるきっかけかもしれない。突如として、昔の知り合いが電話をかけてくるというのもいいことだ。」

さらに、
「逆には、我々に対し悪意で接していた人々が、何らかの報いを受けて、没落してしまう様を見せるかもしれない。」
と付け加えた。

私はそんなことを話しながら、我々の周りで起きたことを思い始めた。

昨年は、息子が無事南アフリカの一年の研修を終えて帰ってきた。
今年最大のできごとであった娘の大学受験も、苦しみぬいたあげくようやく入学できた。

これらは神からのメッセージであろう。

このように神からのメッセージを、静かに受け止める心の余裕が必要だと思う。