一昨日は、夢に出てくる画像は、いい加減なものと書きました。
自分の母親とあっている夢なのに、顔はおふくろの顔と違う。
これは一体、どこから出てくるのであろうか?
誰もが経験あることと思うが、ここには以前きたことがある気がするという体験。
どうも、一般的に、人間にはその情景をはっきりと思い出すことができない。
ところが、以前書いたことがあるが、イヴァン症候群で、10分くらい町の景色を見ているだけで、その景色を思い出し絵を描くという青年の話をした。
なぜ、この人には写真の情報を記憶し、思い出すことができるのであろうか?
多分、脳の記憶容量に限度があり、写真のデータをちゃんと管理できていないであろう。
かといって、圧縮することもできない。
すなわち、画像の記憶は非常に苦手にできているのだ。
目をつぶって、ふるさとの情景を思い出せといわれても、ぼんやりと思い出すが、画像が出てくることはない。
しかし、これができる人もいることが分かってきた。
誰にできて誰にはできないのだろうか?
私は、ここに霊的能力との関係を感じる。
霊的能力とは、瞑想し、魂レベルの情報を感じることのできる人の能力と言おう。
すなわち、魂レベルの記憶回路は人間の記憶回路とはまったく異なり、画像記憶ができる回路といえるものではないかと思う。
異次元能力といってもいい。
人に見えない第六の感覚。
この感覚のない人には、画像を記憶する能力がないのだ。
言ってみれば、意識レベルがまだ、低いということ。
身をつつしみ、自分の意識を高めようと思う人は、来世にその能力が養われるかもしれない。