ヨーガの世界で臓器移植はどのようにとらえるのだろうか?
さすがに、ヨーガの聖者も心臓移植のことまで考えたであろうか?
また、脳死判定とは何ぞや?
輪廻転生の中で、臓器を移植することは魂にとってどうであろうか?
また、脳死も人によって死を決定するのである。
魂自らが死を判定するのではなく、人によって決定されるのは何か問題が起きそうな気がする。
魂と肉体は一体であり、肉体が滅ぶ時、魂は次の肉体(生命)のために種子状態になる。
なのに、強制的に肉体、特に心臓が他の肉体に入っていく。
魂のなかに他の魂が混在していく。
ある青年が心臓移植したのちは、自分の未経験のバスケットの記憶がよみがえったと言う話は実際にアメリカであった。
すなわち、移植した心臓の持ち主はバスケット選手であったのだ。
心臓に記憶があるのではないかという問題が医学界で問題視されたと言う。
ヨーガ流にいえば、魂に、具体的に言えば、チャクラに記憶があると言う。
どうも、複雑な社会の中で、人の魂のなかに他人の魂が入るという複雑さが生まれてくる。
これは、どうも、人間が肉食するようになったことと同じかもしれない。