横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

あっさりとした生き方

あっさりとした生き方

江戸時代中期に 至道無難(しどうぶなん)という禅僧がいた。 中山道の宿場町である関ヶ原の宿屋の主人であったが、53歳になって出家をした。 或る日、この無難は庄屋の家を訪ねて主人と話をしていた。 丁度そこに別の商家からの使いが来て、主人に紙に …

袖振り合うも他生の縁

袖振り合うも他生の縁

道を歩いていて見知らぬ人と袖を触れ合う。 そんなちょっとした接触も決して偶然ではない。 全てが前世からの因縁によるものだといったことわざが、 「袖振り合うも他生の縁」 あるいは、 「袖振り合うも多生の縁」 である。 ”他生”は前世で結ばれた …

餓鬼に三種あり

餓鬼に三種あり

「餓鬼に三種あり」と仏教の論書「倶舎論(くしゃろん)」に書かれている。 餓鬼というのは六道輪廻(ろくどうりんね)の世界の一つ。 六道とは、天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界である。 餓鬼とは餓鬼界に住む住人である。 生前に嫉妬深か …

天海の柿

天海の柿

江戸前期、天台宗の僧で天海という人がいた。 この天海は、徳川家康、秀忠、家光の三代の将軍に仕えた。 宗教的顧問役のような存在で、「黒衣の宰相」とも言われている。 1622年天海は江戸城の艮(うしとら:東北)の方角にある上野忍ヶ岡を幕府から拝 …

禍転じて福となす

禍転じて福となす

ある日、ある家に一人の美人がやって来た。 豪華なドレスを着て、気品のある女性だ。 彼女が、家の主に自己紹介をする。 「私は吉祥天。あなたに福徳を授けに来ました。」 主は福の神の到来とあらば、と家に招き入れた。 ところが、彼女の後ろから醜女で …

客なれば、心を残さず

客なれば、心を残さず

沢庵漬けで知られる沢庵和尚は幕府の宗教行政に抵抗して、流罪となった。 しかし、その後、徳川家光将軍の帰依を受け、品川に東海寺を創建してそこに住んだ。 ある日、家光がこの東海寺にやって来る。 禅寺には将軍に献ずる珍しい物などない。 そこで、沢 …

なぜ、坊さんは肉を食べない?

なぜ、坊さんは肉を食べない?

内心では欲しくてたまらないのに、一応うわべでは辞退する。 この行為を「猫の精進」または、「猫の魚辞退」という。 精進とはもともと仏教の言葉で「努力」のこと。 特に、出家して仏門に入り、ひたすら修行に励むのが精進であったが、後には単に肉食しな …

カルネアデスの板

カルネアデスの板

古代ギリシャの哲学者にカルネアデスがいる。 彼が提起した問題に ”カルネアデスの板”というのがある。 洋上で船が難破した。 ふと見ると板が一枚浮かんでいる。 だが、その井谷は漂流者がつかまっている。 その板にはあいにく一人しかつかまれない。 …

4月13日は十三詣

4月13日は十三詣

4月13日は十三詣(まいり)。 4月13日は十三詣(まいり)。 当年13歳になった男女が虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を祀る(まつる)寺院に参詣する日である。 京都の法輪寺で1772年から行われた行事といわれている。 虚空蔵菩薩は虚空のごと …

”啐啄同時”(そったくどうじ)

”啐啄同時”(そったくどうじ)

禅の言葉に”啐啄同時”(そったくどうじ)というものがある。 親鳥が抱く卵が孵化する時、卵の中の雛が内側からコツコツとつついて合図する。 それが”啐 ”である。 それと同時に、外から親鳥がコツコツとつつく。 これが”啄”である。 この”そつ” …