横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私が北米担当になった時は、最悪の状態だった。
当時、第二輸出部という名称が第三国際部に変わった。
理由は、東芝が本気になって国際オペレーションになりだそうとしたからである。
そこに多くの国際経験のある有能な人々を集めたのだ。
第一国際部が電子、第二国際部が重電、第三国際部が電子及び産業エレクトロニクスを担当した。家電は何国際部か忘れました。
これからは輸出比率を30〜50%に持っていかなければ生き残れないと考えた為、国際オペレーションを製造事業部から切り離すという方針に変わったのだ。
国際部の事業部長は頻繁に海外に出向き、海外駐在員にハッパをかけて回った。
多くの海外駐在員は多分、自分はどうすればいいのか分からなかった時代である。
即ち、自分の出身母体は製造事業部だから、指示を製造事業部に求めるのが従来のスタイルであった。
しかし、それは国際部からの指示とは違うことが多くなってきたのである。
医用機器事業部も同様であった。
当時の第三国際部の村尾事業部長は商社から来た人で、東芝の人間とは全く発想が違っていた。
例えば、海外オペレーションをするには、現地法人が絶対に必要だと新体制は言う。しかし、それまでの発想は、まず、販売代理店を探し、彼らを育てるというもの。実にまどろっこしい発想である。正に手探りでオペレーションをやっていたのだ。
そんな時、北米放射線学会RSNAの展示会の話が話題になった。商社から来た村尾事業部長が、どうなっているんだと二段部の部長、すなわち、我々の冨樫部長に聞いたのだ。ところが、冨樫部長も新しく来たばかりでよく分からない。そこで、北米担当課長が、実は展示会の計画は全てTAIの方で準備をしていますと答えた。
その途端、村尾事業部長が、
「西田君、早速、電通を呼んで、展示会のデザインを作らせろ。そして、TAIには、今年からRSNAの展示会のデザインは東京が作ると伝えろ。」
ここに出て来た西田君とは、後の東芝の社長になった人。
この当時は、企画部の課長。多分この時の年齢は30代ではないかと思う。
西田さんは東大在学中、中東の石油ビジネスに興味を持ち、中東諸国を回っていた時、当時の東芝副社長に認められて東芝に入ったとか。
当時の彼の歳は多分31歳だったとか。東芝入社する時は課長からスタート。一般的には早い人で35歳に課長になるから別格扱い。
彼は企画部に在籍し、各営業部の部長がプレゼンテーションすると、すかさず、厳しい質問をする。
側で聞いていた私は痛快に思った。
だから、社内では敵が多かった。でも彼は平然と問題を指摘していった。彼は、我々若手には優しく、我々の意見もよく聞いてくれた。
数日後、西田君は電通を呼び、ブースデザインを作るように命じた。
電通は一ヶ月半後にアイデアをまとめて持って来た。
私は、この西田君に呼ばれて、今年はこのブースデザインでRSNAの展示会をやる旨、TAIのメディカル部門に行って説明して来い、と言われた。
私にとっては北米は二回目の出張であった。
初めての出張は一年前、テキサスのダラスで開かれたRSNAで来たのである。
その時は、初めてということもあり、日本人駐在員はよくしてくれたことを覚えている。
しかし、今回は全く違っていた。
私は、完全に敵視されることは、日本を出る前から予期していた。
私が事務所に入り、TAI MEDICL DIVISIONのNO.2の星川に挨拶するや否や、星川は私に、
「佐藤君、君は大谷派か、村尾派か」と聞いて来た。
更に、
「我々は、みんな医用機器事業部の出身で、最後は、医用機器事業部に戻るつもりでいる。君は国際部の人間なのか?」
因みに、大谷は医用機器事業部長で、村尾は第三国際部事業長である。
私は、ジーッと星川の話しを聞いて、こう返した。
「星川さん、私に宗教の派閥みたいなことを言って、迫っても、何の意味もないですよ。私は今年のRSNAのブースデザインを持って来て、東京の意向を伝えに来ただけです。その話しを聞く気がなければ、私は明日帰ります。」
とだけ伝えて、オフィスを出た。
その夜、星川の部下の吉田がホテルにやって来て、今晩はみんなが待っているから来てくれと、夕食の迎えに来た。
私は、どうしても、その気にならないと夕食は断った。
翌日は東京に帰るつもりで準備していたら、吉田が迎えに来た。
私は、挨拶はして帰ろうと思い、彼の車でオフィスに行った。
すると、会議室に私の持って来たブースデザインのモックアップが置いてあり、星川が、出席した日本人スタッフに向かって、こう言った。
「折角、佐藤君がブースデザインを持って来たから、みんなの感想を言ってくれ」
私は、星川の嫌らしい面を見た。やっぱりこいつは東京が怖いんだなとも思った。
私は、みんなに、申し訳ないが、既に、昨日、星川さんの本意を聞いてしまったから、改めて、今日、会議を持つ意味はないと思う。
私は今から、東京に発ちます。
すると、星川はこう言った。
「それじゃあ、佐藤君の出張の意味がなくなるし、立場も悪い。さあ、会議をしよう。」
私は、断った。
その上で、TAIの考え方をテレックスで連絡頂ければ結構ですと付け加えた。
どうせ、星川は、自分の都合のいいように東京には報告するだろうとも思った。

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