ある時、水野は私に競輪の話を持ち掛けた。こうしたら絶対に儲かるから、やってみたら? 私も興味本意で言われた通りに競輪というものを実験的にやってみた。 確かに当たる確率は56%で、私の想像よりも遥かに高い確率で当たった。しかし、全て予想通り、 …
ある時、水野は私に競輪の話を持ち掛けた。こうしたら絶対に儲かるから、やってみたら? 私も興味本意で言われた通りに競輪というものを実験的にやってみた。 確かに当たる確率は56%で、私の想像よりも遥かに高い確率で当たった。しかし、全て予想通り、 …
これは画期的レポートです。何故ならば、今進行中の出来事をそのまま報告するからです。そのため、主人公は仮名の水野とさせていただきます。また、勤務先を出せば色々問題があるため、伏せておきます。当面、この物語と勤務先は関係ありません。 私は水野の …
既に書いたように、東芝に入社する前は大学で生きることの意味を真面目に考えていた。そこに、大学内紛争が起き、全共闘運動の中で、私は本当に行き場を失ってしまった。そんな時に見つけた本が、高橋和巳の“憂鬱なる党派”や“日本の悪霊”の本に巡り合った …
DR白壁彦夫の名前をご存知であろうか? ご存知ない? それでは、胃X線二重造影法という言葉は? 一般的には聞いたことはないでしょう? それでは、胃のレントゲン写真で、立体的な写真は見たことはありませんか? では、バリウムを飲んでレントゲン写 …
1992年、日本のバブル経済が弾け、隔月発行される東芝社報には多数の退職者が載るようになってきた。しかも、その数が毎回増えていった。 毎月、課長や部長は大会議室に集められ、第二の人生は真剣に自分で考えるようにと言われていた。会社としては、今 …
人生とは何が起きるか分からない、と思う。 増井が、孫仁を社長にしようと考えた時、私はもうお終いだと思った。 腐り切った山東社を替えて、サンジャパンと共にゼロからスタートすることを真剣に考えていた私は、本当にもう駄目だと思った。 しかし、増井 …
中国友好公司の山東社にはそれまでも東芝から若いスタッフを応援として送り込んできたが、彼らのほとんどが腐り切って会社の中で、やる気を無くしてしまった。 もう、こんな所には居たくないから帰してくれと悲鳴が飛んで来た。 その理由は、会社の方針があ …
中国ビジネスは1980年代に入り、鄧小平の改革開放路線に乗り一気に活発になっていった。 まだ、中国経済の方向がはっきりしないことから、東芝も手探り状態であった。 そこには中学卒上がりの福山の存在があった。 彼は、中国友好公司の山東社を使い、 …
増井という男は私より2歳年上。 明治大学法学部卒で、東芝医用機器事業部玉川工場生産管理に配属されたそうだ。 私が増井と出会ったのは、私が国際部に移動して数年後だった。 増井は本社の放射線の生産管理という仕事で会ったのが初めて。私が納期の確認 …
東芝には、いろんな人間がいたが、どうしてもこの二人は特筆すべきである。 一人は横嶋という男。多分、私より4歳は上かと思う。 私が、北米担当になるというので、メキシコ出張の帰りに、ロサンゼルスにある東芝アメリカ(TAI)の本社に寄った時、総務 …