釈迦がある時、弟子たちにこんな質問をした。 「世の中の道は石や木切れが落ちていて、歩くのに危険である。どうすればいいだろうか・・・?」 弟子の一人がこう答えた。 「人の歩く道を全部鹿の皮で覆うといいと思います。」 この答えは、あまりにも稚拙 …
釈迦がある時、弟子たちにこんな質問をした。 「世の中の道は石や木切れが落ちていて、歩くのに危険である。どうすればいいだろうか・・・?」 弟子の一人がこう答えた。 「人の歩く道を全部鹿の皮で覆うといいと思います。」 この答えは、あまりにも稚拙 …
中国の禅僧慧可(えか)(593年107歳で没す)は、インドから来た達磨禅師を訪ねた。 達磨禅師は、壁に向かって座禅をしたまま、 慧可に向かない。 慧可は雪の降る日も達磨禅師の後ろに立ち尽くす。 最後は、左ひじを切断し、その本気度を見せた。 …
我が国の南北朝時代の話である。 禅僧の関山慧玄(けいげん)が美濃の伊吹山に隠棲していた頃の話である。 ある日、にわかの大雨で、本堂に雨漏りがし始めた。 関山は、 「なにか雨漏りを受ける物を持ってこい!」 、と大声で弟子たちに命じた。 しかし …
電車の中で座席を譲られた老人が、 「いいえ、いいです。私は次で降りますから・・・」 と、座らない場合がある。 これはよくない。 たとえ面倒でも譲られれば座るべきだ。 30秒であっても座らせていただいて、 「ありがとう」と言って立てばいい。 …
仏教の言葉と世間一般の言葉が正反対になっていることがある。 「無学の人」、といえば、一般的には学問・教養のない人のことである。 ところが、仏教では、これは褒め言葉である。 真理を極め尽くして、もうこれ以上学ぶ必要のなくなった人が「無学の人」 …
ある高僧がご自分の小学生時代の思い出をされた。 彼は、父親の住職の代わりに檀家の三七日(みなぬか)のお経をあげにいかされた。 仏壇に向かって、小学生が一所懸命にお経をあげていた。 隣の部屋には、多分お経が終わった後の接待であろう。 お膳が用 …
我々凡人は、なかなかこだわりを捨てきれない。 未練を持つのは当たり前。 しかし、仏教では、こだわりなく、ありのままを見ろと教えている。 そこで、仏教学者である安田理深の話をしてみよう。 この学者は、浄土真宗大谷派の学者だが、無位無官であまり …
今日を楽しめと仏教は教える。 だが、なぜか、この言葉が引っかかるのは私だけではないだろう。 今、苦しんでいる人が多いのに、 今日を楽しむ気にはならない。 今のこの現実から抜け出すためには、「明日がある」とか、「また日が昇る」の方がしっくりく …
イソップ物語の「アリとキリギリス」の話はご存じでしょう。 しかし、原文では、「アリとセミ」であることを知っている人は少ない。 暑い夏を、アリはせっせと働く。 キリギリスは遊び呆ける。 アリはキリギリスに、「しっかり働かなければ、冬になって困 …
サラリーマン生活で、地方に左遷させられることほど悔しいことはない。 いっそ会社を辞めようと思う人も多かろう。 そんな人へのメッセージがある。 法然上人の話である。 浄土宗の元祖法然上人の生涯は、逆風ばかり。 その最大の逆風は、1207年、土 …