後に浄土真宗の開祖となる親鸞は、若き日は比叡山の堂僧を務めていた。 しかし、彼は29歳の時、生死の迷いを断ち切ろうとして、比叡山を下りて京都の六角堂に百日の参籠をした。 比叡山における20年間の修業は、結局は彼の悩みを解決してくれなかった。 …
後に浄土真宗の開祖となる親鸞は、若き日は比叡山の堂僧を務めていた。 しかし、彼は29歳の時、生死の迷いを断ち切ろうとして、比叡山を下りて京都の六角堂に百日の参籠をした。 比叡山における20年間の修業は、結局は彼の悩みを解決してくれなかった。 …
私達は、アンデルセンの裸の王様は知っている。 詐欺師が王様に金襴の着物を作って差し上げると言う。 とても軽い着物で、善人には見えるが、悪人には見えないという代物である。 そのように言われると、王様をはじめ、家臣たちは正直に、「私は見えない」 …
インドの神話にヤマという人が出てくる。 このヤマは死者第一号である。 ヤマは死んで天界に行くと、そこには緑の楽園があった。 彼は楽園の発見者だから、領土宣言をした すなわち、ヤマが楽園の王になったのだ。 言い換えると、ヤマは死者の国の王にな …
日本のある商社が西ドイツの工場に部品の注文をした時の話である。 最初に注文した時の個数が少なかったために、追加注文をした。 その際に、その商社は注文個数を増やすから、追加注文の単価を安くしてくれと交渉した。 それに対して、ドイツの工場からは …
私の大きな疑問の一つは、 「なぜ、釈迦は坊さんが働くことを禁じたのだろうか?」 ということである。 お金の寄付を受けることを禁じている。 すなわち、坊さんがお金で物を買ってはいけないというのだ。 ただ、生きるために、一日2食を在家信者から布 …
熊谷次郎直実、この人の名前は、知っている人は多いであろう。 義経の軍勢が平家を攻める一ノ谷の合戦において、16歳か17歳の平敦盛(あつもり)をこの直実が討ったのである。 直実はその後人生の無常を感じて出家してしまった。 平家物語にはそう書か …
日本ではどんな人が立派なリーダーだろうか? 単純に結果を出す人なんて言いそうな気がする。 あるいは、情熱のある人と言う人もあろう。 ところが、西洋では、 「リーダーたる者は、自分が統率する部下の人数だけの人生観・価値観を身につけろ」 と言わ …
「人間はすべて例外である」 これはロシア哲学のベルジャーエフ(1948年没)の言葉である。 人間はみんな、一人一人がそれぞれの個性を持った存在である。 一人として同じ人間なんかいやしない。 みんな違っているのだ。 違っていて当たり前なのだ。 …
江戸前期の禅僧に鉄眼道光(1682年没)がいた。 彼は36歳の時、『大蔵経』の刊行を思い立ち、17年かかって6956巻を完成した。 途中、近畿地方に大飢饉が起こり、鉄眼はせっかく集めた刊行資金を投げ出して難民を救った。 そしてまた、新たに募 …
ライバルとは、「競争者、敵手」と悪されているが、もともとラテン語では、 「同じ川の水を共通に使う人」 という意味。 歴史上、ライバルは沢山いる。 平清盛と源義朝(頼朝の父)などがそうだろう。 でも最も面白いライバルは、最澄と空海であろう。 …